さよならを言う勇気は七年分







食べ物を得るためにも、暖かい寝床を確保するのにも、もちろんお金が要る。


いくら豊かな都市の地下だって、お金を持っていなければジーハにいたころと変わらない。あのころはむしろ守ってくれる囲いがあったけれど、今は何もないんだからもっと悪いかもしれない。上に広がる自由が増えたぶんだけ、下に堕ちる危険も増えた。
オレとアニキが盗みをやって稼ぐお金なんてたかがしれている。連続してそう何回も強盗に入るわけにはいかないし、毎回成功するとは限らない。しかもオレとアニキは・・というかアニキは、得たお金をすぐに無尽蔵に使ってしまうのだから。まあしょうがないとは思うけどさ。
あの人にちまちましたことは似合わない。

中心に行けばこの地下は栄えているけれど、裾野に下っていくにしたがってだんだん様子が貧しくなっていく。乱立した薄暗い穴倉なんかもあるくらいで、ちょっと、というか、かなりスラムっぽい。けれどその代わりに来る者拒まず去る者追わずだ。訳ありの人とか、得体の知れないグループとか、時にはガラの悪そうな獣人まで混じってることもある。悪いことをするのに、人間も獣人も関係ないのかもしれない。オレ達も同じようなものだけど。だから金が尽きると、ここに帰ってくる。食べ物は相変わらずないけれど、ここにいても追い出されたりはしない。

水だけは自分で確保しなくちゃならないから汲みに行く。一箇所だけ、綺麗かはわからないけれど水のたまっているところがあって、オレたち金のない者はたいていそこをつかっている。天井にちょっとだけ裂け目ができているからそこから雨が入り込んで溜まるんだ、とか、地下水脈が絶えず湧き出ているせいだとか色々言う人もいるけれど。とりあえず飲んでも腹を壊さない水があるってことだけわかればオレ達には十分だ。






ブリキのバケツ二つに水をくみ出す。
天井の小さな裂け目から、白くて綺麗な光が差し込んでいる。
汲み終わったバケツを地面において、手近な岩にのぼって、裂け目から外を覗く。きらきらと不思議な光だ。懐かしくて苦しくて悲しくなるような。

土の匂いを嗅ぐとジーハ村にいたときのことを思い出す。父さんと母さんを地震でなくして、暗い穴の底にばかり向かっていたころのことを。無骨な岩肌、上下左右から迫る闇。そのうちにまた地震が襲ってくる。岩や天井の下敷きになっていつか自分も死ぬのだと、ただ何かの決まりごとみたいに信じていた。

後ろから名を呼ばれる。

「おーい、シモン!まだ水汲み終わんねぇのか?」
「アニキ」

暗い影からカミナが顔をだす。相変わらず着たきりスズメのハート柄をひっかけて、寝癖がついているところを見ると今まで寝ていたんだろう。もう夜なのに。

「遅えなと思って来てみりゃ、何やってんのお前」
「外、綺麗だから」

ほらこれ。地下から外が見られるの、ここだけでしょ?
アニキは呆れた風に、「お前って変な奴だよな」とかなんとか言った。

「よっこらせ」という掛け声とともに、いきなりアニキに岩から身体を下ろされて、ヒョイと両手で担ぎ上げられる。「わあ」って驚く間もなくそのままそのまま肩車をされて、天井がぐんと近づく。岩壁の割れ目からはっきりと白く丸い光が見えて、オレは思わず手を伸ばす。

「月とかいうらしいぜ、あのまん丸」
「へえ」
「馬鹿でけえあかりだよなぁ。いい気なもんだぜ」

何が“いい気なもん”なの?とオレは笑って返す。下でアニキが「それはなぁ兄弟!」とか言いかけている。
見なくてもわかるよ。アニキも笑ってるでしょう。

多分とても、とても優しげに。






今でも思う。村を出てきてよかったのかなって。
どこにいたって生きていくのは大変で、だからどこにいてもあんまりかわらない。
地味で根暗で、向かう先が下でしかない俺が外に出てきた理由なんて一つしかない。
アニキがさそってくれたから。それ以外のなにものでもない。





「アニキ、オレもう降りるよ」

「おう、そうか」と彼が答える。一回上へと担がれて、それから地面に下ろしてもらう。一瞬だけ近づいた外の空気を胸に吸い込んで、静かに吐き出す。
もうすぐ、地上は雨がふるみたいだ。そんな匂いがした。










俺は雨が嫌いだ。













わかってる。
オレはいかなきゃならない。

わかってるんだ。
愛する人が、大切な仲間が、皆オレを待っていることも
遠くでアニキが見ていてくれることも、全部全部わかってる。わかってる。




でもどうしよう。
あとちょっとだけ、ほんの少しだけでもいい、まだ夢をみていたい。


生きている貴方に触れていたい。

生きている貴方に勝るものなんて





















そこはかとなくあたりに漂う、雨の香り。

















*080329
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