(27話、帰還後)
春の雨ってすてき。
絶え間なく降り注ぐ雫にわきたつようなひかりとかおりが声をひそめて、気持ち良い静けさが世界中にしみわたる。しとしと、しとしと。遠くで景色がかすかにぼやけて、まるでいつかの空みたい。貴方に出会った、あの日の空。
路地裏を二人でお散歩する。どこに行くってあてはないけど、知らない道をちょっとだけ遠回り。
少し楽しくて、この間買ってもらったピンクの傘を斜めにしてくるくる回す。
「シモン。シモンも可愛い傘をさしたらいいのに」
シモンがさしているのは黒いビニールの傘。議事塔から持って帰ってきたのをそのまま使っているのは知っています。貴方はきっと雨をものともしないで外に出そうだから、用意してくれたのは気が利くロシウじゃないかしら。
「俺が可愛いのをさしてたら変だよ」
「そんなことありません。シモンには何でも似合うわ」
「あはは、ありがとう、ニア」
「あら、ほんとうよ」
むう。信じていませんね。
私はくるくるとしていた自分の傘をシモンにさしかける。それから左手でシモンの傘をもらう。本当に真っ黒、まっくろくろすけ。それをゆっくりとたたむ。
シモンは私に、ピンクの傘を差し掛けてくれている。ほら見て、よく似合ってます。
「・・・相合傘だね」
「ふふ、そうね」
両手が空いたかららくちんです。シモンの左手に腕をからめて、肩に頭を預けて歩き出す。こっちのほうがずうっといいわ。
ちらりと見た曲がり角の家から、いい香りがただよってくる。濃くて綺麗な花の匂い。
「いい匂い」
「ほんとだ。沈丁花が咲いてる」
「知っていますかシモン、沈丁花はイトシイオモカゲ、なんですよ」
「ああ、そんな歌があったね。愛し面影の・・」
「シモン、」
花の枝の前で立ち止まる。
うん?とこちらを見たシモンの肩に手を置いて、少し背伸びしてキスをした。
「ニア」
「ふいうち、です」
ぽかんとしているシモンが可愛くてくすりと笑う。
ね、シモン、もう一度。この花の隣でキスしてください。
それから、ぎゅうって抱きしめて。
「この花の隣で?」
「そう。この花の隣で」
不思議そうな顔をしながら、でもそっと抱きしめてくれるシモンが可笑しくて愛しくてまた笑う。
沈丁花の花の隣で。
だってそうしたら、貴方はこの花の香りを嗅ぐたびに思い出すでしょう?
沈丁花の花が咲くたびに、このキスを思い出してくれるのでしょう?
シモンはゆっくりとそんな私を見て、それから真面目な顔をしてニア、と言った。
「そうしたら、またキスしてくれるでしょう?」
「そうじゃなくても、する」
二人で一瞬にらめっこをして、それから同時に笑い出す。
そうね、そうだよ。そうだね、そうだよ。
「このお花、一枝もらっていきたいな」
「頼んでみようか。・・家に飾るの?」
「それからお爺さんのお家にも」
彼は目を細めて、そうかと微笑む。
約束よ、シモン。
毎年春がきたら思い出して。
愛してると呟いて、私を抱きしめてくれたこと、ちゃんと思い出してね。
そうして、私を忘れないでいて。
二人で一つの傘をさして、腕を組んで家まで歩く。
道端に花をみつけて、雨宿りする猫に手を振って
にらめっこをして笑って、くすぐりあいっこになって笑って、
幸せで幸せで幸せすぎて、
滲んだ涙には、気付かないフリをした。
*080318