(23話、月から帰還、決戦前)
※ガンフォン=ケータイ












アンネがようやく眠ったらしい。キヨウ姉ちゃんがごそごそと掛け布団を動かす気配がして、オレはそっとドアをあける。

「ホットココア、つくってきたけど・・」
「ありがとキヤル、もらうわ」

このところアンネは夜泣きがひどい。姉ちゃんとオレは、交代しながらもほぼ貫徹の状態だ。徹夜って実は結構きついのな。まあ、最近変なメカがせめてきたり、月がおっこちそうになったりって何かと怖いことが多かったから、赤ちゃんのアンネも、そういうところを敏感に感じ取っているのかもしれない。

眠りをさまさないよう、アンネのベッドからなるべく一番離れた所に二人して陣取って、ココアをすすりながら一息つく。両目の下にくっきりとクマをつくりながらも、「これも母親のダイゴミねえ」なんておおらかに笑っているキヨウ姉ちゃんは本当にタフだぜ。オレなんか、実際には姉ちゃんの半分も手伝えてないのにもうクタクタだ。

そう言ったら「だって私はアンネが二人目みたいなものだもの。小さいアンタの面倒見たの、私とお兄ちゃんだったからね」だって。その節はどうもお世話になりました。というか頭上がんないや。ふふっと笑う姉ちゃんをふざけて軽く拝んでみる。


ふいに胸ポケットがジジジと揺れた。ガンフォンのバイブ。とっさに胸元を押さえる。自分の顔が固まるのがわかる。…一回…二回。

「どしたの?」
「うるさくしちゃってごめん。電話みたい」
「いいわよ、それより早く出なさい」
うん、といいながらそそくさと立ち上がる。
「ここのところ、毎晩夜遅くにかかってきてるけど・・彼氏ぃ?」
「んなまさか」

いたずらっぽく笑いかける姉ちゃんに、オレは脱力した顔で笑ってみせる。

「三分もしないで終わる。すぐ戻ってくるから、姉ちゃん今の内にねときなよ」

ありがとーという声を背に、オレは静かに部屋を出た。



コールは続く。…五回…六回…七回目
オレはなるべく足音をたてないように、けれど素早く歩いて庭にでる。
十回目
後ろ手にドアをしめて、壁にもたれる。夜の庭は少し肌差い。

ピッという機械音がしてオレは胸ポケットからそのガンフォンを取り出す。ピンク色の小さなガンフォン。オレは何もせずにただじっとながめている。




きれいな声が流れ始める。

『―――――もしもし、ニアです。ただいま電話に出られません。ただいま、っていっても、おうちに帰ってきたわけじゃないです。家に帰ったら、携帯よりも、家の電話を使いたいと思っています―――』

声が途切れる。ピーという長めの機械音。

少しの間。
おずおずとした彼の声が聞こえてくる。―――ニアか。

『ニアか、オレだよ。シモンだ。
 つらくないか?寂しく、ない、か?・・・うん。ごめん、馬鹿なこと聞いてるな、俺。
 待ってろよ、絶対、必ず助けに行く。
 俺は、ほかの事では随分なさけなかったかもしれないな。・・けど、やるといったことは、必ずやる。やり遂げる。 絶対だ。・・・お前が信じてくれている今は、その力だってもっと強い。・・必ず、助ける。
 あとちょっとの微調整が終われば、もう出立する。・・・待ってろ、ニア―――』

空白。
電源の切れるおと。





広い庭だ。姉ちゃんがガーデニングとかいう案外繊細な趣味を持っていたのと、つき合わされてるダヤッカがマメだったせいかな、結構綺麗。きちんとした区画に、きちんとした色彩の花。夜だから余り良く見えないけれど、淡い赤やオレンジ、黄色に白。素足をくすぐる芝は良く刈り込まれていてちょっと痛い。・・・足元に広がる薄桃色の小さな群生は、サクラソウって言うんだ。後の名前は、よくわかんない。

オレは、右手で握り締めていたガンフォンをそろそろと持ち上げる。あわい月の光にピンク色がうすく反射する。ニアらしい色だ。優しくて綺麗で可愛くて。あえて言えばオレとは正反対の。履歴には見るまでもなくシモンの番号がのっていて、それだけ確認してまた胸ポケットにしまう。電源は、やっぱりオンにしておく。

月の落下を止めて、兄ちゃんたちと地球に帰ってきてから、シモンは時々、こうやってニアのガンフォンに電話してくる。 オレは毎回それを独りで聞く。騒動がはじまって、いなくなったニアを探して、病院の玄関におちていたこのガンフォンを拾ったのは確かにオレだったけど、誰にもわたしたり話したりしていないのは、なんというかタイミングの問題だ。



ニアの、オレらが良く知ってる方のニアの声を聞いて、今は宇宙の果てにいる彼女に向けたシモンのまっすぐな言葉を聞いて。けれどオレは時々、ボタンを押してしまいそうな衝動にかられる。メッセージの途中に割り込んで、アイツに向かって話しかけるんだ。「もしもし、これニアの携帯だけど、もしかしてシモン?あ、オレ?キヤルだけど・・・そう、これ病院で拾ったんだよ」
そうやって、奴の心の端に浮かぶ微かな幻を、壊して、やりたく、なる。思わずスイッチをおしそうになって、そこでハッと我に返る。だめだろ、それ。そう首を振ってガンフォンを握り締める。

なんでそんなことをしたくなるんだろ、って考えると、なんかぐちゃぐちゃしたもんが吹きだしかける。だから、考えないことにする。そんなの、それこそオレらしくないじゃん?色々、ちょっと切ないんだけどさ。


けど、いいだろシモン。
オレが今だけ、あと数日の間だけ、ニアのかわりに話をきいてやる。
情けない声だって、歯の浮いちゃう台詞だって、全部全部きいてやる。

それくらいは、しててもいいよな?・・てか、するからな。





オレは七年前、もう武器は持たないと決めた。
政治にもかかわらなかったし、グラパールとか軍隊とかも目指さなかった。オレのこの両手は、今は姪っ子をあやすくらいで、決してガンメンの硬い操縦桿を握ることはない。
もう握らない。そう決めた。



・・・ほんのささいなことだ、本当。
けどさ、この電話がお前の小さな支えになるのなら。









七年前と違って非力なこの腕は、だけどシモン、まだお前達グレン団と共にある。



そこんとこ、ちゃんと覚えとけよ。















*080225
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