(第二部から第三部の七年間)






これだから雨は嫌なんだ、と独りごちる。


この季節にはこういう特色がある。万能なリーロンさん達によると、首都からそう遠くない海からふく暖かい空気と反対側の山のほうの冷たい風とが作用して雨が降りやすくなるのだそうだ。特にこの数ヶ月の間は。

この間そう説明しようとしたら、シモンさんに軽く流された。説教がいやだったのか、そもそも話が小難しかったのか、多分というか絶対、後者だろうけれど。

でもだから、仕方のないことなのだから、雨が続くたびに意識を過去に飛ばすのはやめてほしい。仕事が進まない。書類が減ってくれない。その分、ただでさえ負担している自分が、もっとたくさんこなさなければならなくなる。・・できないことは全然ないのだけれど、ともかく一言いってやりたい。

言ってやりたい。この雨は貴方のせいではないのです。

・・・言えるわけがないから、こんな考えの繰り返し。午前中はそれで終わってしまった。









昼過ぎにやっと雨がやんだ。いつもより少し遅れて、弁当を持ったニアさんが来る。

ニアさんが来ると僕は少し安心する。彼女がいれば、シモンさんはとりあえず笑ってくれる。幸せそうな顔さえする。自分では彼をそんな風にできないとわかっているから、彼女との他愛のないおしゃべりに僕は文句をつけない。仕事の効率的にも、こうしたほうがいい。

やっぱり、ニアさんは特別だ。


「シモン、また、アニキさんのことを教えてください」

ニアさんの手料理から逃れるために、僕はこの時間何かを口にすることにしている。今はキノンからもらった紅茶を飲んでいたのだけれど、軽く噴出してしまった。だって、それは鬼門でしょう。
シモンさんを見やれば、彼は特に何の動揺もみせずに、いいよ、とうなずいていた。

「ニアにだけ、特別な」
「はい、ありがとうございます。シモン」

そうやって、僕でさえ耳にするのが何度目かの事を話し始めるシモンさんを見て、やっぱり僕にはこの人はわからないと思った。




総司令室の大きな窓からは町並みが見下ろせる。僕はそこから外をのぞく。太陽が傾いできていて、辺りは暖かい朱色に染まっていく。もう夕方だ。

まだ雨雲がそこらに漂っていて、だから太陽の光も切れ切れに地上へととどいていく。くもの隙間を縫って、一条の光のように降り注ぐそれを、天使の梯子と呼ぶのだとシモンさんに教えたことがあった。いつだったか忘れたけれど、多分そう遠くない昔に。

彼は「天使って何?」とそこから聞いてきて、確かその時は一つ一つ説明した。天使というのは、神様のみつかいなんだそうです、翼を持っていたりして、何の神様かというと・・多分・・その、天上にいらっしゃったり、・・・そうです、神様と言っても、この世界にはたくさんの宗教がありますから・・そうそう、僕の村はガンメンが神様でしたね、でももうそれはいいっこなしですよ。こんな感じで。

彼はわかったのかわかっていないのか、でもそれでも少し楽しそうな顔をしてその空を見ていた。天使の梯子は綺麗な気象現象だ。本当に、空に続いている梯子のように見える。


「それで、アニキはその時、ガンメンに向かって・・こう、啖呵をきったんだ」
「たんか?」
「そう。こんな風に、おうおうおーう!って」


まだ彼らは話をやめない。カミナさんから戻ってこない。

「そうしたら、ヨーコが撃とうとしていたガンメンがこっちに気がついちゃって、なんとか逃げたけど、危うくつぶされるところだったんだ」
「まあ・・・シモン、笑っているけれど、それは『危機一髪』ですよ」
「そう、『危機一髪』。ね、ニアそれ、今度は誰に聞いたの?」

キタンさんです、と答えるニアさんに、シモンさんは笑いかける。「ニアが新しい言葉を覚えるのは、いつもキタンからだなぁ、変なのが多いけど」とか言いながら。

「アニキはそしたら、正面からやっつけるのが男だ!ってヨーコに言うんだよ」
「ヨーコさんは、女の人です」
「うん。だからヨーコも、あたしは女だーって」

そこで二人してクスクスと笑う。

「でもアニキは、まっすぐに突き進むんだ。」

そういう人だったんだよ。

幸せそうに言ったシモンさんの顔が偶然視界に入る。
窓の外を、まだ雲の立ちこめる空をみやる彼の目を見て、僕はぞっとした。









ニアさんは帰っていった。僕達は政務に戻る。僕達、というかシモンさんは。
「ごめん、今日はずいぶん休憩しちゃった」と言って作業をし始める彼を、僕は直接は見ない。今日はもう見たくない。

「ロシウ」
「・・なんですか、総司令」

呼び方に軽く顔をしかめて、それでもシモンさんは続ける。

「あの、あれ。ほら、もう消えかかっちゃってるけど、あれって天使の梯子っていうんだろ?」

ああ、そうです、とうなずけば、この前ニアに教えてやったんだ、と少しうれしそうに言う。

「それはよかったです」

僕は書類を片付け続ける。シモンさんは窓を見続ける。

「あれが本当に・・」
「シモンさん?」

天まで続いていたらいいのにな。

呟くように、彼は言った。






ああ、今わかった。
自分がどうして、彼が昔語りをするのを聞きたくないのか。
カミナさんを思い出す彼を、アニキと虚空を呼ばわる彼を見たくないのか。


彼がいってしまいそうに見えるからだ。どこか遠くへ。
僕らの、絶対に手の届かないようなところへ。
彼のように。
彼のように。
















お願いですシモンさん。
どうか、僕達を、僕を置いていかないでください。









天へと続く、天使の梯子

















*080220
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