寂しいばかりの灰色の枝に仄かな桃色が灯り始めた。暖かさにくすぐられるようにして蕾をひらいた小さな花の群れが、風に揺れてふわりと舞っている。
二歩先を歩く君は低い枝のその先の花弁にそっと触れる。小さな灯りとやわらかにゆれる髪が薬指を通ってひとつにつながって一瞬だけチラチラと淡く流動的に輝く。
淡いひかりの中で君は振り返る。
「春って素敵ね」
つぶやいて、あたりの空気をおいしそうに吸い込む。
「ニッポンの春は、どこも花の香りでいっぱい」
「ブリタニアの、ユーフェミア殿下のいらした土地でも、この季節は花にあふれているのではありませんか?」
一歩近づいて顔を覗き込んだのに、君は途端にぷいと横を向いてしまう。どうしたのと首を傾げれば、もう、とむくれて、人差し指をピンと立てた。
「敬語は禁止。それと、『ユフィ』って呼ばなきゃ、駄目」
「あ、ええと、」
「そういう約束、ちゃんとしました」
「・・・ごめん、ユフィ」
それでよろしい、と君はうなずく。
「ええと、君の家の周りでも、この季節はこんな感じじゃないの?」
「そうですね。本国の、母の離宮などには、それはもう丁寧に手入れされた豪華な庭園があって。
チューリップに、ヒヤシンス、アネモネだとか。もっと暖かくなれば、早咲きのバラだとかでいっぱいになったわ。」
「すごくたくさんだね」
「そう、色とりどりなのよ。お庭の大きな木の下に小さなテーブルと白い椅子がおいてあって。芝生の上は気持ちがいいから、はだしで歩いて、よくお母様におこられたの」
「ユフィがそうやって歩いている姿が目に浮かぶよ」
「ふふ、ほんとう?」
「ほんとう。僕は、君が案外お転婆なお姫様だということを良く知ってるから」
「それはうれしい」
楽しそうに君は笑う。
「空から降ってきたくらいですものね」と、内緒話をするかのように小さな声で言う。
「私は、母様の庭も、それはそれでとても好きだったのだけれど。でもね、スザク。こちらに来てから、私、ニッポンの春もとても好きになったのよ。貴方の国の四季は素敵ね」
「そうかな。気に入ってくれたのなら、うれしい」
「気に入ったわ。とっても。少しずつ咲きはじめて、満開になって散っていくサクラももちろん、
淡い白灯のモクレンも、雨の中で香るジンチョウゲも、空の蒼色で咲くスミレも。
貴方の国の春は、優しくて暖かいわ」
「そうだね」
笑えば、君は少し寂しそうに振り返った。
「だけどね、スザク。貴方の国の春は、優しくて暖かくて。でも、ちょっとだけ切ないの」
「寂しそうに笑っているみたいなの」
「ユフィ?」
また覗き込むようにすれば、今度はこちらを見上げてくる。
「私は、知っているのよ、スザク」
言って、まるで今を見透かすみたいに僕を見つめた。
「僕も、日本の春は好きだよ。特に、桜」
寂しい表情をしてしまった君を甘やかしたくて、僕はクルリとカールする髪に手を触れる。
「君の髪と、同じ色で咲くからかな」
飛び切りに甘くやわらかい声で言えば、君は一瞬驚いて、それからくすぐったそうに首をすくめた。
満開になった桜から、ざあと風が吹いてくる。
いつのまにか僕の後ろに立った君は、いつかみたいな綺麗な笑顔で、ありがとうといって。
「ありがとう、スザク」
笑顔だけのして。
幾千もの花びらになって、散った。
君に、うそをついてしまった。
僕は、本当は春なんて嫌いだ。喜びにも、期待にも、満たされることなんてない始まりの季節。
目を覚ます生き物のむせ返る匂いがうるさくて、青く萌える草花なんて騒々しい。
ごめんねユフィ。桜だって本当は好きじゃなかったんだ。この世界のどこもかしこもを君の色でつつみこんで、忌々しくも、こうやって淡い幻を見させてくるのだから。
でも、だけど。
だから、僕は、嫌いなこの春が終わらなければいいのにと思うよ。
このまま春が終わらなければ
とわに散り続ける桜色の嵐の中で、
ずっと、君を探し続けることができるのだから
いっそこんな幻におぼれてしまいたい
*090325