(・・・奇妙なものを見た)




学校帰り。
アッシュフォードの制服をそのまま、無意識のため息と供に郊外の静かな邸宅にあがりこんだ紅月カレンは、小さな部屋の前で意識して足をとめた。投げやりに背負っていた鞄の柄を持ち直せばやはり見間違えでもなく。開け放たれたドアの向こうで、小柄な少女が二人、一人の男を間にはさんで静かににらみ合っている。
いや、にらみ合うというよりも、むしろ。

「ゼロは今現在、復興中の世界の要です。ですから、本当に申し訳の無いことなのですが、わたくしの立場上、貴女様のそのお申し出を受け入れることはできないのです」
にこやかな、それこそかつてあの学園でみせたようにふんわりとした笑みを浮かべて、正面から向かって右側に鎮座するナナリー・ヴィ・ブリタニアは小さく小首をかしげた。公務用の可愛らしいドレスを身に纏い、しごく丁寧に、かつ申し訳なさそうに眉を下げつつも、射抜くように真っ直ぐな視線を対岸によこしている。
対して。
「まあ、ナナリー代表様。貴女様の受け入れる、受け入れないにかかわらずとも。これはもはや既存の事柄、既成の事実でありますのよ」
艶やかな黒髪の、その一房をそっと払いのけて、左岸の少女は強気な目線を返してよこす。
「かれこれ、ゼロ・レクイエムの幾月も前から、このお方は既に、神楽耶の夫にございます」
言い切って。
目下のところの、カレンの主は軽やかに笑った。





咳払いでもしたげな顔で部屋に足を踏み入れたカレンにすぐさま目線をやったのは他でもないその男だった。暑っ苦しいまでの仮面と、真っ黒な上下の合わせに身をつやした終焉の英雄。スザク扮するゼロは、しかしその肩書きに似合わぬ困ったような空気を混ぜてカレンを見る。
「・・・神楽耶殿。お迎えが来たようですが」
無機質な音を響かせて男が言葉を発すれば、少女二人はまるで今初めて気がついたとでもいうように、「まあ、」とカレンに目を向けた。
「こんにちはナナリー。門の方に通していただいたの。・・・それから神楽耶さま。紅月カレン、ただ今お迎えにあがりました」
鞄を肩から下ろして居住まいを正せば、一人は嬉しそうに、一人はむくれて返事をくれる。
「カレンさん、よくいらしてくださいましたね」
「紅月か。まあなんと間合いの悪いことよ」
ため息とともにティーカップをおいたのは神楽耶で、ナナリーはそちらに向かってほがらかに笑いかけた。
「神楽耶さん。今日は本当に楽しいお茶会でした」
「それはそれは。私も久々に楽しいひと時が過ごせましたわ」
「・・・先の議題についてはまた後日、ということになります。残念ですが」
「まことに、残念至極。けれど仕方がありません。身の置き方が決まるまで、わが夫は貴女様にお貸しいたしますわ。ねえ、ゼロ様。それでよろしいですわよね?」
滑らかに続けられる少女達の会話に目を奪われつつ、急に矛先を向けられたゼロは、ややぼんやりとした声で「ええ」答える。
「そうですね。戦後復興の間しばらくは、私は此方にいたほうが良いかと」
「私と離れてお寂しいでしょうけれども」
「ええと・・・・」
「神楽耶はまっておりますから。日に一度は、文をくださいましね」
「日に一度?・・は、ちょっと多いのでは・・」
「まあ!神楽耶は、本当は今でもとても寂しゅうございますのに?」
「え、ええっと・・」
「ゼロさん」
目の前で程よく丸め込まれかけるゼロの間にわって入って、ナナリーは力強い声でゼロに『命じ』る。
「そろそろ。超合衆国の代表さまをお送りしてあげてくださいな」
「わかりました」
明らかにほっとした声色をだすゼロの横で、神楽耶は牽制を投げかけた対岸の少女を軽くねめつける。しぶしぶ立ち上がると、それに倣ったゼロの衣服の裾をちょんと引いた。
「神楽耶殿?」
「また、会いに参ります」
ちょん、ちょん。身長差のある男の服をまた二三度ひっぱる。
催促に従って身体を折ったゼロに、神楽耶はそっと声を送った。
「神楽耶をおいてけぼりにしてはいかぬのだからな?でないと妻になってはやらぬぞ」

その密やかな声音を、カレンは目を閉じて聞かぬふりをした。





「いかがでしたか?ブリタニア代表とのお茶会は」
館の門から続く細長い道の真ん中を行くカレンに、神楽耶はふん、と息をはく。
「収穫としてはまあまあだったというところです。どれも実質的な決定には至っていませんけれど」
「そうですか。・・ナナリー代表はどうでしたか?」
「ああ、あの娘。やはりとも言うべきか、ずるがしこい女狐です。可愛らしい顔をしていて、あれは立派に現ブリタニアの主ですね」
「女狐とは、また・・・」
「あら、可笑しいですか?まあまあの『やり手』と表現しても良いですが」
「ナナリー現ブリタニア代表に、油断してはならないと?」
「気をぬくべき相手ではありませんわね」
「はあ・・・」
声音に否定の色を読み取ったのか、神楽耶はふふ、と笑った。
「貴女のもつ印象からは遠くかけはなれますか?」
「ええと・・まあ。多少たくましくなったなとは思いますが」
カレンの知るナナリーは、いつも遠くほほえみながら、兄への愛と兄からの愛に閉じこもって生きる純朴な少女だった。その肖像は、一時期捕虜として彼女と対峙した時の記憶とも、多分そうかわらない。
「たくましく、ねえ。それだけではとどまらないやも知れませんよ。ニッポン復興のためには、心してかからねばならぬ相手です」
「なるほど」と一応頷くと、神楽耶はやれやれと楽しそうに笑った。カレンにはまだわからない。けれど、もし、神楽耶にそう言わしめる今のナナリーが本当ならば、その変革はかの数ヶ月の上で行われたものだ。とカレンは思う。
兄の死と、『友』の死と。
「好きにはなれない相手でしたか」
先ほどの光景を思い浮かべながら少々からかう様な口調で問えば、神楽耶はしかし笑わずに、「そうね、」と思案するように目を閉じた。
「そうですわね。好き嫌いというよりも。わたくしはあの娘が気に入らなかったのでしょうね」
「気に入らない?」
「ええ」
言葉を切って神楽耶は表情を険しくする。
だって。
「だってあの娘、いつのまにやらわたくしのゼロ様をとっていってしまったのですよ?人様の夫を!まあ、なんと厚顔なこと!」
「・・・結局は、そこなんですか」
「仕方ありませんわ。所詮、行き着くところはそこなのです」
無垢なまでに真っ直ぐにむくれる神楽耶を見やって、カレンは首をかしげる。
「・・・それなのに、随分と嬉しそうなんですね」
「え?」
「神楽耶さま。今日は一段と明るくて・・なんだか楽しそうにみえます」

少女は一瞬息を呑む。
寸の間をあけて目を細めて、頬をゆるめてカレンを振り返る。
「・・・そうですね。ええ。
 私は嬉しいのかもしれませんわね」

日本を背負うスメラギの少女は、やはり小気味よく、ふふ、と笑って答えた。

「だって。ねえ貴女」





ずっと、何年も遠く遠く離れていたあのひとに、
今、呼びかければ声が届くのですよ






こんなに嬉しいことってないわ








触れることのできる幸せ










*090103
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