繊細な彫刻の施された、大きくて立派な門の向こうには
確かにあの日々とかわらない笑顔があって。
だから、決めたのです。
「もう二度と、この扉をひらくまいと」
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綺麗な模様が象られた飾り窓の向こうで、凍える夜が轟々と音をたてている。
巡りゆく楕円の緩やかな終結。深まる冬は、大きな足音で木の葉を蹴散らしてはこの世界に孤独を零して行く。無数に降り注ぐそれらは、声潜める街角に、煉瓦調の赤い柱に、花の絶えた灰色の庭に。今にも、しんしんと積もる寂しさの音が聞こえてくる気がして、ナナリーはほうと息を吐く。ひっそりと肩を丸める。眠りにつく前の、夢と現の境のようなこの季節が、だからナナリーは好きだった。一人、また一人と寝床にもぐりこんで、吹きすさぶ白い霞の中に埋もれていく。そのあいまいな色の中に、自分も紛れ込むことを期待する。心に抱くのは安堵だ。悲しみなどではなく。
小さな部屋に、淡い色合いで映し出される人影は三つだった。
向かい合う大と小。それから、小の側にたたずむ真っ直ぐな一。暖かな自室は、暖炉の鈍い炎とサイドテーブルに置いてある小さなランプの、ほのかな明かりだけで満たされている。
「では、ナナリー様」
言葉を発したのは向かい合った男だった。微かに驚きを含めた声音に、ナナリーは軽くうなずいて彼を見やる。
「解除の用はなし、と?」
「ええ。その通りです。・・・既に地位を手放され、軍属を離れられた貴方にこう呼びかけるのが適切であるかはわかりませんが。・・・・ジェレミア卿」
名を呼びやれば、背高の男ははっとしたように居住まいを正す。律儀なものだ、とナナリーは思う。
「かの呪いを解くことができるという貴方の助力を願っての、わたくしからの一方的な呼び出し。しかも、それが善悪どちらに与するものかはわかりませんが、わたくしは貴方の忠誠をちかった『兄』とは敵対した身。・・それであったにもかかわらず、この私邸まで足をお運びいただいたこと、まことに感謝を申しあげます。そして、そのご厚意すらもこうして結局無駄に終わらせてしまったこと、重ねて謝罪いたします」
「いいえ。これは自分にとって当然なこと。軍属や地位や、・・それこそ主義主張など関係がなく。私は一生涯、貴女様を含めるヴィ家に忠義を誓っております」
「・・ありがとうございます、ジェレミア卿」
「礼には及びませぬ。ですが」
ジェレミアは言葉をきってナナリーを見つめた。
「よろしいのですか?ナナリー様」
ナナリーも見つめ返す。再びうなずく。
「彼の学び舎にかけられた呪い・・貴方方の言葉で言えば『ギアス』を解くことを、私は望みません」
「それは、」
「父によってかけられたという記憶の改変を、そのまま修正しない、ということですわ」
言いきったナナリーに、ジェレミアはやはり戸惑う。
「ですから。・・それは、あの学生達に、ナナリー様に関する記憶を戻さない、ということになってしまうのではないのですか?自分は、ブラックリベリオン以前の貴女様のことを良く知っているわけではありません。が、記憶改変がなされた者たちは、」
口をつぐんで、ジェレミアは視線を移す。ナナリーではなく、彼女の側に控える黒衣の仮面に。
「親しかったとは。聞いております」
ジェレミアの見据えた先で、しかし仮面の男は動かない。一つ目の黒仮面は、持ち主が変わった今でも、ジェレミアに表情を読ませてはくれない。
かわりに、とばかりに、ナナリーが表情を崩した。
「それはもちろん、わたくしも迷いましたわ。アッシュフォード学園の呪いをとく、とかないということについて。・・・どちらを選ぶにせよ、これはあの方達の主権を踏みにじってしまう選択なのでしょうね。けれど・・」
ふっ、と息を吐いて、しかしナナリーはその先を続けない。
口をつぐんで、それからにこやかな笑みをジェレミアに向ける。
「もう既に、決めたことなのです。わたくしが」
――ですから。
「および立てした身ではありますが、ジェレミア卿。今日のところは、お引き取りくださいませ」
パチリ、と一際大きな音で炎が爆ぜて、散った。
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窓をあける。
車椅子を窓枠に近づけて深く息を吸い込めば、途端、この季節特有のつんと冷たい空気が肺に入り込んでくる。キリリと痛い。
高くなった夜空を、寒さゆえか澄んだ空気に透かして見上げてみれば。ギラギラとこちらを直視するのは広い宙に小さく咲きほこる冬の星たちだ。対極の季節では、ただただ可愛いばかりに零れ落ちる彼らが、こんな風に強くたくましく、そして独りぼっちで輝くことを、長いこと忘れていた。忘れてしまっていた。
窓辺へと移動したナナリーに従って、彼が背後に近づいてきたのがわかる。仮面の騎士。黒衣のゼロ。ナナリーはけれど振り返らない。今の時間は『職務』などではなく。そういった時、彼は決しておしゃべりに応じたりはしないし、こちらに触れもしないから。
ナナリーは微かな足音を聞きながら、ジェレミアの言葉を思い出す。この扉をあけて出て行くとき、振り返りつつ、別れの挨拶に付け加えられた言葉だ。
――もし、お心変わりをなされたら、いつでも呼び出してくださってかまいません
多分それを聞いた時、きっと自分はものすごく腑抜けた顔をしていたことだろう。けれどそれ以上に、親しい間ではない彼が浮かべた表情が暖かくて少しびっくりしてしまった。
微笑む。程なく、苦笑いにかわる。
誰も彼も、私に対して皆様甘い。
先帝の妹だというだけで、言わば『封じ手』であるギアスキャンセラーの能力を、惜しみもなく貸してくれようとした先の男。それから、何故か彼をはさんで、激励なのか叱咤なのかわからない言葉を言付けてくれたアールストレイム卿。混沌の数ヶ月。あの間のことに、何の責任も無い自分ではないのに。
・・・それに
ナナリーはチラと後ろを見やる。
ギアスキャンセラーの存在を伝えてくれたのは他でもない『ゼロ』だった。普段はどこかへ消えてしまうかさもなければ無言を通すだけのプライベートで、しかしこっそりと耳打ちをしてくれた彼の声音を、ナナリーは忘れられない。いつもの、仮面を通した機械音で、けれど静かに染み渡るように言ったのだ。『貴女を忘れている貴女の大切な人たちが、その記憶を取り戻す手立てがある』と。思い出して、やはりナナリーは苦笑する。
「ごめんなさい、『ゼロ』」
話しかけたのはだから戯れだ。応えが返ってくることなど無いと、ナナリーは知っている。
「フイにしてしまいした。貴方がせっかく教えてくださったのに」
後ろは振り返らない。寒い外気に髪を絡ませて、相変わらず空を見上げながら話し続ける。
「本当に・・どちらを選ぶにせよ、これはひどく傲慢で、ミレイさん達の気持ちを踏みにじることだったのでしょうね。・・どうするにせよ『反逆者』となってしまった少年の兄弟が、その後に消えてしまった『弟』だったのか、それとも、こうして上で安全に暮らしながら、政治などというややこしいものにかかわっている『妹』だったのか。・・どちらの記憶が幸せかなんて、わたくしにはわかりません。決める権利も、ありません」
けれど。
忍びつつ向かった学園の彼女達が、『今』の記憶の中で、幸せそうに笑っていたのをみたのだ。何かお祝いの写真撮影をしていて、知らない人たちもたくさんいて。ゼロ・レクイエムの後を、そうやって懸命に生きていた。
だから。
「・・それに、失われる記憶は、わたくし一人です。今更わたくしのことなど思い出しても、何が、増えるというわけでもありませんし。思い出したところで、今のわたくしの地位と存在意義を思えば、余計なやっかい事を背負うことに――」
・・・・不意に。
分厚い革製の黒い手袋が、ナナリーの肩をそっとなでた。
突然の感触。
直ぐに離れていってしまう腕。
数瞬の邂逅。
言葉を返答のない彼に向かって放り投げる作業をやめる。一瞬でとめる。
それから、呆然としてふりかえる。
あるのは、無言の仮面。
無表情な真っ暗闇。
その虚空をみつめながら、ナナリーは彼の触れた己の肩におずおずと手をやる。
手をやって、ぎゅっとつかんだ。
・・・黒皮の分厚い手袋をした、鈍く滑る貴方の手。
そこに、あたたかさなどありはしないと。
触れた衣から体温が感じられるはずもないと。
わかってはいるのです。理解してはいるのです。
いつも冷たい、『ぜろ』のあなた。
だけど今、触れてくれた貴方の腕が、
だって確かに、確かにとても暖かくて。
まるで、あの時のままの、『貴方』みたいに
ぼんやりと見つめ続ける先で、ゼロは静かにマントをぬぐ。
大きなそれを、ナナリーの肩にかけてくれる。
数瞬の間が空いて、ゼロはそっとナナリーの頭に手を置いた。
ゆっくりと、優しくなでてくれたことに遅れて気がつく。
・・・・ああ。
だから、貴方は甘いのです。本当に甘い。
こうやって、一番私が駄目なときに、優しさなどをくれるのですから。
ほら、わたくしは本当に、まだまだ子どもです。
まるで幼い子どものように、てんでに涙が止まりません。
こんな甘っちょろい涙、流したくなど無いのに。
決して私一人が、つらいわけでは無いのに。
やがて嗚咽すら漏らし始めた少女の肩を、
仮面の騎士はそっと抱きとめた。
・・・・・名前。
お名前を、呼んでもいいでしょうか。
閉ざされた貴方の棺の前で、
すべてのことを置き去りにして。
身勝手な祈りをささげてもいいでしょうか。
今だけ。今だけですから。
スザクさん。
私は。私は貴方を
声にならない祈りは、吐き出した喉の奥にわだかまって消える。
震える声で絞り出せたのは、だから表層のかすかな願い。
どうか。
「どうかもう少しだけ、こうしていてください」
「うん」と返された返答は
やはり暖かい、『彼』のものだった
閉ざされた棺
弾き出された二人
*081110