※アッシュフォードの記憶改変はキャンセルされていません
この世界は、いつだって私たちを翻弄する。
科学の可能性。統制のシステムとその頂点にたつ者。人と人との関係。為政者と被支配者。人々の無意識下で常識とされる前提は常にいれかわり、語られる地点と時点によって、正義は悪になり、また悪は正義と評される。客観的立ち位置から自分の一生より少し長めのスパンで時の流れを見下ろせば、それはすぐにでも知れることだ。一度だって。一度足りとして静まらない足元。それを『歴史』とひとくくりにすればことは簡単に見えるけれど、その狭間で慌てふためくちっぽけな私たちは、激動の中でやはり激しく変化しながら生きていくしかない。
それでも。人の一生は世界のそれと比べればはるかに短く、それゆえに一定の前提を求めることができるはずだ。と、ミレイは思っている。少なくとも一握りの物事は。
例えば、日常と定義されるもの。
あるいは、友情と名付けられるもの。
どちらかといえば無常であり、もっとも儚いものの部類にはいるかもしれないそれらを永遠としてあげる自分を、ミレイは笑う。馬鹿ねえ、と笑ってやる。多分自分は、まだどこかで信じているのだ。大きな悲劇が時の流れを分断させようと、その濁流の中で大切なつながりが離れ離れになろうと。
きっと戻ってくる。帰ってこれる。決して同じはない、けれどよく似ている場所に。
生きている、限りは。
だから、無駄に現在を悲観したりしない。
それが、ミレイの持論である
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結構高値だった気がするロングスカートを気にするでもなく階段に座るミレイの前には、目深に帽子を被り、黒ぶちの眼鏡をかけた髪の短い少女が座っている。パッと見、遠くからは少年に見えないことも無い。小柄で、服も簡素なジーンズにグレイのパーカーで、どことなく中性的。それから、彼女が座るのは大き目の車輪のついた、簡素な車椅子。
ミレイが遠くから彼、もとい彼女に声をかけたのは、少年だと認識した人影が女子寮の方向へむかっていたことと、それから、どうやら車椅子にのっているらしい彼女が、修理中のスロープに困っている様子を見受けたからだった。
「ありがとうございます。助けていただいて」
「ううん。ごめんね、今ここ、まだ修理中で危なっかしくって」
工事が終わっているスロープまで案内して、本校舎近くまで回って、それから二人で一休みをしている。
ミレイ・アッシュフォードだと、学園の名前を名乗ったミレイに、少女は名乗らず、ただ見学したいのだと状況を説明した。入学希望者かと思えばそうでもないらしい。
「学園というものを、見てみたかったので」
にこにこと笑う少女をみやって、もしかしたらどこかの裕福なお嬢様だろうかと見当をつける。一度ためしに、庶民の学校というものを見てみたかったとか、そんな感じの。どこかやわらかな物言いや仕草を見てそう感じさせれたと言えばそうだが、まあただの勘である。
「学校には通って無いの?」
「はい。家庭教師の方を雇っていただいているので」
「そっかそっか。・・勉強は楽しい?」
我ながら、月並みなことを聞いている自覚はある。
斜め上を見上げて少し考えるようにした後、少女はクスリと笑った。
「楽しい、というよりも、頑張らなくてはと」
「おお、偉いわね」
「叶えたい夢があるんです」
車椅子の上でこちらに向き直って、少女は言った。
「ずっとずっと、小さい頃から同じことを願ってきて。昔は少し、自分勝手な願い方でしたけれど。具体的な行き先はちょっとずつ変わってきて、けれど今でも、その根っこは同じなんです」
「うん」とミレイは相槌をうつ。
「だから、少しでもそのために知識をつけたくて」
「偉いわ。繰り返しちゃうけどほんとのことだから二回言っちゃう。頑張りやさんなのね」
おどけた物言いに少女は笑った。くすぐったそうに首をふって、けれどすぐに視線をストンと落とす。
「・・・でも」
「うん?」
「・・・本当は。今の私に、そんなことを願う資格はないんです。」
「資格?・・その、足、のこと?」
少し立ち入ってしまったかな、と思える質問に、けれど少女は「え?」とキョトンとした声をだし、それから慌ててうなずいた。
「そうです。その、・・そうなんです。一人じゃ動けないこともあるしその・・」
二度、三度首肯して、それからポツリと少女は言う。
「だから」
だから。
「あきらめることなんて、全然ないわ」
階段から立ち上がって、軽くジャンプして彼女の目の前にたつ。不思議そうに顔をあげた少女に視線を預ける。
「例えばほら、ブリタニアの現代理執行者の。ナナリーさま」
「え?」
相手の驚いた声を心地よく耳にながしながら、ミレイはふふんと笑ってみせる。
「彼女、ついこの間まではエリア11・・この国の総督だったでしょ?足が動かなくて移動は車椅子。しかもちょっと前までは目も見えなくて、演説や式典での原稿も全部点字だったみたいよ。色々苦労はあったんでしょうね。でも、私たち下々のものから見たら、本当に、とても立派だったじゃない。矯正エリアが衛星エリアに飛び級するほど。着任したばかりのころに色々語られた心配なんて吹き飛ばしてしまったわ」
こころもち真剣すぎる眼差しを向けられて、すこしだけくすぐったくなる。
別段マジメなことがいいたいわけでもなく。お姉さんぶって、理解者のふりをしてお説教がしたいわけでもなく。
だけど、そうね。元気には、なってほしいかな。
「だから貴女が、資格がないとかなんとか、考える必要はないのよ、・・・と、お節介なお姉さんは思うわけ」
「・・・・」
「今、貴女は頑張ってるんでしょう?それで充分、願う資格はあると思うのよ」
言った先で少女は、どこかかみ締めるようにうなずいている。
真面目で直向ね、といおうとして、それからふいにミレイは夢想した。一瞬、手に取るように見えた一枚の写真。この子があの時、の生徒会にいたら、それもまたそれで面白いことになったかもしれない。と。まじまじとその場面を想像してしまう。
「なんだったら貴女、うちの学校に転入でもしてくる?」
その絵を思い浮かべながら冗談めかして言えば、相手はパチパチと目をおおきくする。ふうっと息をすいこんで。
それから、驚くほど嬉しそうに笑った。
「・・・もしそうなったら、とても、とっても楽しいでしょうね」
「ふふ、きっと想像以上よ?ここの学園。・・そこいらの青春ドラマより、断然おもしろいこと、保障するわ」
「ほんとうに?」
「ほんと。この元・生徒会長、ミレイ・アッシュフォードが言うんだから、間違いなし」
「それはますます信頼できそうですね」
作った声で、顎に手をあててみせた少女は、そう言って悪戯っぽくミレイを見上げる。二人で一瞬見つめ合って、それから可笑しくなってふきだした。
ひとしきり笑った後、小柄な少女はふぅと長く息をはいた。
「ありがとうございます。ミス・アッシュフォード」
「ん?」
「・・・少し。実は少し、落ち込んでいたんです。多分。ちょっと疲れていたのかもしれません」
さっきまで。
ミレイは年長者の目線でやわらかく少女を見て、ポンと帽子に手をやった。
「元気でた?」
「はい。・・・とても」
「それはよかった」
「・・・・貴女は」
「うん?」
「あ、ええと。」
少女は言いよどむ。それから決心したように顔をあげてミレイをみやった。
「貴女は、今楽しいですか?」
「うん・・?」
「ええと・・・学園とか卒業されて、お仕事とか、お友達とか思い出とか・・他にも、全部。」
「楽しいかって?」
「はい」
何故か断罪を待つかのように頭をたれた少女を見下ろした。
「そうね。・・・ここ一、二年、すっごいたくさんいろんなことがあったけど」
念のためにとびきりの笑顔をつけていってみせる。
「今の私は。多分すごく楽しいわ。」
幸せよ。
言い切った私を見て、少女はほっと、息を吐いた。
「もうそろそろ帰ります。約束の時間なので」
言って少女はちらりと正門を見やる。遠目に何人かの長身が見えて、ああ、やっぱりどこかのお金持ちなのね。と自分の見当にマルをつけた。
「ありがとうございました。ミス・アッシュフォード。見ず知らずの私につきあって下さって」
「ぜーんぜん。こちらも楽しかったですわ。それとお嬢さん」
人差し指を少女のおでこに当てる。
「今度からは、『ミレイさん』とお呼びなさいね?・・ちょっと今更だけど。訂正いれるのが遅くなっちゃった」
「・・・はい。ミレイさん」
「そうそう。あー、なんだかそう呼ばれると、学生時代を思い出すなあ。・・・どう?こっちの呼び方のほうがしっくりこない?」
「・・・・・はい。とても」
「ん。よしよし。また会う時には、ちゃーんとそうやって呼ぶのよ。約束」
「はい」
礼儀正しく少女は頭を下げてくる。
「ありがとう、ございます。ミレイさん」
正門への道を、少女は車椅子を動かしながら移動していく。ここまででいい、と断られたミレイは、その真っ直ぐな道をいく頼りない小さなうしろ姿を目で追う。
少女が真ん中をすぎたあたりで、大きく声をはりあげて呼びかけた。
「ねえ!」
数秒たって、車椅子がとまる。
「本当、いつでも転入大歓迎よ!冗談や仮定なんて、いつ何時『本当』になっても全然おかしくないんだから!」
車椅子の細い背もたれ越しに振り返った彼女は、やっぱり礼儀正しく頭をさげ、それから何故か、泣き出しそうな顔で笑って、「さよなら」と手をふった。
長い長い正門への小道を、それっきり少女は振り返らなかった。
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腕に付けた時計を見やれば、もう四時をすぎている。少しばかり日がかしいでいて、あたりがほのかに淡い光で染まっていた。後輩達との夕食の約束まであと二時間弱。その前に買い物でもしようとさそった女性陣たちが、もうすぐやってくるはずだ。
かつての、この学び舎に。
ミレイは大きく息を吸って、少女の消えた正門に目をやった。
・・・ねえ。
開けられた門の、その遠くを見つめながら、ミレイは胸のうちで二人分の名前を呟く。どこか別の時空へ思いをめぐらせる、なんて。乙女ちっくなことをしてみる。
戯れだ。気持ちは本当だけれど。この行為は。だって、何故だか懐かしくなってしまったから。
ねえ、××××、××××。
呼びかけることを、許してくれるかしら。
名前を呼んでも、いいかな。
あんたたちの側にいたちっぽけな一人として。
ぼんやりとだけど、あんた達の意図に、気がついているつもりよ。
芯を隠して、死を持って名を飾ったあなた。それから、自らを無として、名を殺したあなた。
私が「あの頃」と呼べる昔からは、たくさんのことが変わってしまったわ。
皆がだんだんと離れ離れになって、親友が死んで。国はこわれて、地位は消えて、家族の何人かもなくした。良く知っていたと思っていた人がわからなくなって、それから新しく良く知りたいと思える人たちとであった。新しい価値観がうまれて、新しいつながりも生まれた。
学園祭とか、ふざけた企画とか。巨大ピザとか、百物語とか。
モラトリアムを楽しんでいた「あの頃」が、まるで夢のように思えるわよね。
もう、二度と帰ることができないかのような。
でもね。
多分、私は信じ続けるわ。
やり直せない、未来なんて無いって。
『過去』はやり直せないけれど。『昔』に戻ることなんてできないけれど。
向かっていく未来において、また、繋がろうと手を伸ばすことは、
絶対に、できるはずなのよ。
正門を潜り抜けてこちらに向かってきた赤い髪を見やって、ミレイは元気よく手をふって走り出した。
蛇行する大きな川の流れ。急流をのりこえ、ゆるやかな水流に身を任せて、
そして、その後に待ち受ける静かなるほとりで。
多分、私たちはもう一度出会う。
それと願った日常と友情に。
在りし日の
緩やかなほとりで