皇族や貴族などという高位な者達の本来の正しい姿勢を、セシルはよくは知らない。概念や第三者的立ち位置からの感覚はぼんやりと持っていても二人称としてあるときの彼らの『通常』を、実はよくわかっていない。よくも悪くもややこしい地位関係には(ある程度の例外を除けば)無関係の人生を送ってきたのだ。軍属についたとはいえ所属は能力重視の科学系統。それ相応のことをし、それ相応の気遣いをしていれば、出身を理由に蹴落とされることも目を付けられる心配もあまりない。行ってみれば凡庸で、しごく中流なたち位置だったと言えよう。良し悪しは主観的な感想でしかもてないが、まあまあな道をすすんでいるとは思っている。

直属の第二皇子とは滅多に、というかむしろ一度も顔をあわせたことがなかった。だからイレギュラーだったのは主に彼女のほう。地位の低いイレヴンである同僚の少年をやたらと気にかけた第三皇女。ナンバーズの彼を自らの騎士と呼んだ不思議なお姫様。唯一身近にいた爵位を持つ男は繰り返しになるがある程度の例外としてまったくあてにはできず、だからその平凡な日常に割り込んできたその皇族の少女がそのまま、セシルにとっての高位なものたちのリアルだったのである。

だからセシルにはわからない。彼女達が周りから呼ばわれるようにやはり異例だったのか、あれらはありえない時間だったのか。その後に続く路線として、それは一つの始まりだったのか、それとも濁流に飲み込まれる小さな一つの置石だったのか。きっとずっとわからないのだろうなとセシルは思う。その大きな流れに押しつぶされるにしろ、行く道を変えるにしろ、その前に小さな小石は砕けてしまったから。

少年が少女から騎士の位をいただいたとき。
世間からの視線とはもちろん別の意味を持って、けれどセシルは彼女達を歓迎した。そう、ようやくわかってもらえたのだ。どれだけかの思いをして戦場に赴いているこの真っ直ぐなパイロットが、毎回謂れの無い差別と嘲笑の元にさらされつつ健気に生きる彼のことが、ようやく理解されたのだと。様々なややこしい些事をほっぽりだしてまっさきに喜んだ。それが本当に部分的な人々にしか好意的にうけとられないとは知っていても、そしてその決断が複雑な意味と重石をほかでも無い彼ら自身に落としてしまう可能性を感じつつも、やはり素直に嬉しかった。嬉しかったのだ。

特区ニッポンの準備期間、ユーフェミアは時々特派にやってきた。スザクがこちらから政庁へ赴くことのほうが圧倒的に多かったがそれでも、時間のやりくりをつけて彼女がここに来たのは確かなことだ。一応の応接間には通しつつ基地とはいえ如何せんありあわせのつくりである大学内であるせいか、洩れ聞こえてしまうほほえましい会話にセシルたちはどこか心を暖かくした。途中に多少の波乱をはらみ、しかし回復した彼らの絆は確かだったから。まるで死にに行くかのような出撃を繰り返す彼が、初めて前をむいて笑っていてくれたから。


「理由とか経緯とか、いろいろおもしろいことになっちゃってるけどねえ彼ら」
いつだったか、お呼びのかかったスザクを送り出してやることをなくしたらしいロイドがソファにもたれかかるようにしながら言った。珍しく疲れたような顔つきで、とてん首を垂れた。
「あれはあれで、いい方向にむかってるって言うのかなあって」
「スザク君とユーフェミアさまのことですか?」
「そ。・・ボクは基本的にランスロット以外にはあんまり興味ないんだけどぉ」
「ええ。それはよおく存じておりますが」
「アハ。さすがセシル君」
しょうがないひとですよね、とでも続きそうな気の安い口調であったことは自分でも覚えてている。ロイドはひとしきり笑った後、やはり気がのらないように息をはいた。
「・・だけどやっぱり、大事なパーツは心配だからねえ。」
「心配?」
「何かおかしなことにならなきゃいいけど」
「・・・・ロイドさんはあまりよくは思っていないんですか?」
騎士叙勲のこと、特区が始まろうとしていること。
複雑な笑みを浮かべた上司を珍しいなと思いながら、セシルは目線を合わせる。ソファの背もたれにひっくり返った彼はやや下方からセシルを見上げた。
「色々問題があるってのは、セシル君もわかってるとは思うけどさ」
どこか向こう見ずな任命と計画。
彼らだけではなく、むしろ周りの人間にこそ、一抹の不安がないわけではない。
「・・・・だけどねえ。今の状況も、悪くないかななんて思っちゃってるんだよねえ。これが困ったことに」
らしくなく寂しげに笑って肩をすくめロイドに、セシルは小さくうなずいた。

実際には、それがそのまま、その時のセシルの答えでもあった。




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―――第二皇子のクーデター未遂の、すなわち、スザクが消えてから十数日後。
秘匿の回線から入った連絡を、セシルは、そして多分ロイドも、心のどこかで心待ちにしていたのかもしれない。
相手は上司である少年。
要求はランスロットとアヴァロン。
そして、キャメロット、だった。


秘密裏に、しかし表立っては上司の不在を名目に堂々と撤収の準備を進めつつ、セシル以下キャメロットのクルー達はキリキリと動きまわっている。第二皇子の消息も数日前に消え、しかしいつ戻ってくるともわからぬ状況で、離反の動きをみせるのは得策ではない。故の、この急ぎよう、この働きようだ。本国のアルビオンのパーツももはや梱包済みであり、給油地で受け取って手元に置く手はずになっている。誰の手に触れられるともわからないからだ。

エリア11の基地から物資、データの清掃をすすめつつ、セシルは遠い空を思った。
彼が帰らぬとわかったその日数分。それだけの時間を経て、私たちは多分きがついてしまった。

手放すべきではないと。

皇帝暗殺に出かけた彼に対して、怒っていたのは確かだ。フレイアの事に関しても、あの子をしかってやらなければならないのは私たちだとも思っていた。戦略的に必要とされているのは知っている。だからこそ、損得以外の場所からしかってやれるのは、私たちしかいないと。そう思って突き放したのだ。問いただしたのだ。

けれど子供は帰ってこなかった。

帰ってこないのだと知ったそのときから、セシルは後悔を始めた。あの時私はひきとめるべきだった。そうしてもっと、もっとこちらをむかせるべきだったのだ。どこか知らないところへ飛び立ってしまう前に。手の届かなくなる前に。迫り来る後悔を正論で追い払いつつ、心のそこが叫んでいた。もうこれ以上、失うのはごめんだと。

「ロイドさん、そっち、データの送信と消去終わりました?」
一人部屋の片隅に背をもたれてパソコンをいじくっていたロイドは、「んー」と肯定だか否定だか微妙な返事をした。多分もういい頃合だろう。彼の力量を持ってすれば完成できる時間だ。
「こちらは物資の運搬準備はすみました。アヴァロンに全て積み込んであります」
「・・B2の部品も?パーツの部分改良してたとこの」
「チェック済みです。・・・・今言うのもなんですが、今度から勝手に研究する時は最低私に教えておいてください。こういうときに困るんですよ」
「はぁ〜い」
手をヒラヒラさせるロイドは液晶から顔を上げようともしない。退屈そうにエンターキーを押した後、それを閉じて立ち上がる。

「でもさ、」
「なんです?」
「いや。・・・・とめるかと思ってたから、ちょっとびっくり」
息を飲み込む。
「・・誰をです?というか、何を?」
「僕を。枢木卿を追いかけることを」
顔をあげる。見上げる先に、いつかのように困った笑みをのせた上司が立っている。
「これから彼の元に参じれば、十中八九、僕らは反逆の流れに巻き込まれるよ?その可能性が限りなく100に近いの、わかってるんでしょ?」
シュナイゼルを皇帝にする。現皇帝を暗殺する。と一重目のクーデターに与しながら消えてしまったスザク。しかし、今、ちゃんと生きて、そしてランスロットを欲している。その先にいきつくものが平穏なオーダーであるはずは、ない。
「いくらスザク君を大事にしてると言っても、君は最低限の公私をちゃんと分ける人だから」
だから、いいの?
このまま彼の元へ行ってしまって、それで君はいいのかい?
自分が何故スザクを追いかけたいのかを言わないままにロイドはそこをつく。
「・・・私達キャメロットの使命はランスロット及びそのデヴァイサーの補助または支援です」
「うん」
「デヴァイサーが空の向こうにいて、そして来てくれといっているんですよ?」
「・・うん」

私たちを、呼んでくれたのだから。

「キャメロットチームは、これよりアヴァロンにて枢木卿の下にむかいます。貴方の決定に私は従います。・・・よろしいですね?」
「もとより、僕がそう言ったんだしね」
もういっか。と小さな呟きがもれた。




この何年ですっかり見慣れてしまったエリア11を見回す。構造の変わらない政庁の基地。今でも耳をすませれば、その頃の彼達が声を潜めているような気がしてならない。


思い出すのは、九州戦線だ。アヴァロンの外装をなでながらセシルは目を伏せる。
・・戦場の上空で漏れ聞いた彼女達を、セシルは今でも忘れられない。
貴方を好きになるから、自分も好きになれと言い放った彼女。真っ直ぐで純粋な言葉。そして真実は彼に生きろと。セシルが、そして多分ロイドや学校のお友達や、そういったスザクを想う人々が切に願っていた祈りを、真っ直ぐに彼に届けてくれたこと。

あの時。エナジーフィラーの警告をアヴァロンで受け取って、セシル達も蒼白になっていたあのとき。実はプライベート通信の接続を切りかけた。 通信系等操作の主はこちらにあって、戦闘中であるその時はもちろん皇族や貴族の地位など気にする筋合いも無い。言ってしまえば『死にかけていた』のだ。そんなときにこそオペレーションが必要で、もし最悪の事態になっていれば溢れる自責の念が己を貫くことはよくわかっていた。わかっていたのに。

きれなかった。その通信を。
譲ってしまった。スザク君の、もしかしたら最後になってしまったかもしれない時間を。


結局今にして思えば、あの二人にそんな時間を少しでもあげられて本当に良かったと思っている。心のそこからの言葉を交わせて、そしてお互いをみつめられた時間をあげられて。その後ずっと続くはずだったその時間は、それからまもなくして消し去られることになるのだから。未来永劫に。

――――だから。

セシルは胸のうちで戯れに呼びかけてみる。自分とはあまりツナガリが濃くはなかった、けれど予測される延長線上できっと深く交わっていたであろう彼女に。

――――ユーフェミア皇女殿下。貴女が失った以上の時間を、多分私たちはこれから過ごす。
彼と供に。

決して後発的に持った感情ではなく。だから出発点は別だけれども、きっと同じような抱擁を彼にささげたかったであろう貴女の分まで。
貴女がスザク君に向けてはなった言葉を聞いた、唯一のものとして。


これから、うんと甘やかして、
そして思い切り抱きしめてやるわ。

私たちの、大切な子供を。
もう二度と失ったりしない




けれどその前にまず。心配かけさせた分を絶対一発なぐってやろうと心に決めながら
セシルは輸送機のタラップをかけあがった。












*080928
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