四季の豊かな故郷は厄介だ。
一年365日を綺麗に四分割して、それぞれがそれぞれの顔で自身を巧みに訴えかけてくる。儚く散る春。遠い幻の夏。銀の雨ふる秋。眠り行く冬。音、匂い、色、温度。五感全てにのしかかってきては、それを忘れることを許さない。18年の年月はしっかりと四等分されて、新しい季節が廻るたびに記憶はカテゴリー別に蓄積される。
そうやって、忘れられない思い出ばかりが増えていく。
ラウンズ専用、総督補佐用の仕事部屋に場違いな学生服の二人がどたどたと押し寄せてくると、俄かにあたりは騒がしくなった。鞄をソファに投げ出して、ジノ・ヴァインベルグは「ただいまー!」と勢いよく部屋の主に後ろからよりかかる。一目瞭然、相手は仕事中ではあったが。
「おかえり、ジノ」
手加減なしのかなりの衝撃に、スザクはやや姿勢を崩しつつ振り返った。ほぼ、日常茶飯事。ゆえに誰も何も驚かないし、スザクももう慣れた。
「ただいま」
「アーニャも。おかえりなさい」
ジノの投げ出した鞄をひょいとよけながら、アーニャ・アールストレイムはソファの上にとてんと座る。因みにここはセブン専用の部屋であるのだが、何故かこの二人はここに集う。公務の合間をぬって、他愛も無い話にスザクが馬鹿正直に答えてしまうのも少し不思議な話ではある。が、これらもまた、日常茶飯事。
具体的な経緯や意図はさておき、いまや日常に学生生活という極普通な時間が入り込んでいる二人から聞かされる些末事には突拍子も無いことが多い。大概にして生徒会が絡んでくるから余計に。
だから、
「スザク。お祭りに行きたい」
と彼らが二重奏でいいだしても、スザクはそう驚かなかった。
「なんで。急にまた」
「来週末、イレブン風のお祭りがひらかれるってミレイが教えてくれたんだ」
「ナンバーズの文化保存。皇女殿下考案の第一弾。」
「ああ、あれ。そういえば通ったのか」
補佐とはいえ、文化などの方面はスザクの扱う分野ではない。よく彼女を押しのけられたものだな、と御目付けの女性を思い浮かべながらスザクはペンを走らせる。ラウンズになって体力勝負な仕事以外のものも増えた。だからといって人間の中身がかわったわけでもなく、書類を扱うのは得意なほうではないから、どうしても会話にはおろそかになる。あたりまえ、ではあるが。
「租界のメインストリートを貸しきってパレード、みたいな感じになるって言ってたぞ。」
スザクの隣に椅子持参で座り込んだジノとは対照的に、アーニャはソファーで携帯をいじくりだす。
「エンニチ、といったか?それのデミセもそろえるそうだ。予算の心配はないとかで、完璧にイレブンのお祭りをトレースするとかなんとか・・」
「へえ」
「食べ物もゲームも、その道の業者に頼むらしいぞ。お前が前に言ってくれた何とか焼きとか・・」
「ああ、そうなんだ」
「おい、聞いているのか、スザク」
「うん。聞いてる聞いてる」
「いや、聞いて無いだろう」
「ううん。聞いてる」
「・・・じゃあ、一緒に行こう!な!!私とアーニャと、スザクとで」
「だめだ」
勢いで押したジノを一刀両断したスザクに、彼は一瞬向き直って「すざくうー」と悲しげに訴えた。否、精一杯甘えてか。
「こう答えるの、わかってて聞いてるんじゃない?いけないよ、僕は」
「確かに予想はついたけれども。・・なあ、行こうぜ!三人で」
「ダメ。来週末まで公務入ってるし」
「公務って、形式的なものもたくさんあるじゃないか。スザクはマジメにやりすぎだ」
「僕は総督補佐だろう?」
「だからって、夕方のほんの数時間自由にすることも禁止されているわけじゃないぞ」
「君たちふたりで行ってくればいいじゃないか。お土産でもかってきてくれれば、それでいいし」
頑固な返答に小さく唸って、ジノはのしかかっていた両手を離す。無論諦めるつもりは無いが、こうなっては長期戦だと身構えた。スザクとて、別段二人に意地悪をしたわけでもない。または病的に融通が利かないわけでも、まあない。
「夏祭り。僕はもう充分だよ」
小さい頃にたくさん行った。小さくつぶやくと少し遠くへと視線を流した。
よく覚えている。小さな一匹狼だった自分が、それでもやっぱり近所の子らと連なって出かけていった隣町の夏祭りも、枢木神社主催で手伝いに走りまわされた八月の儀式も、『幼馴染』の兄妹を連れて見に行った御輿も、一年前の夏、アッシュフォードの生徒会主催でやった、日本人もブリタニア人も関係のなく参加できたお祭りも、そこにお忍びできた少女のことも、全部全部、覚えている。
全て。
それらは全て、失われてしまった人々との優しい幻影だ。
だから忘れようもない記憶に小さく胸が痛む。
どちらかといえば、もう、うんざりだ。
ふと、アーニャが携帯をとじて近寄ってきた。
「スザクは、行かなきゃだめ」
「アーニャ?」
「だって今度はスザクの番」
ジノではなく、突如アーニャからあがった非難の声に、スザクはきょとんとして振り返る。
「僕の?順番?」
「そう。約束した。」
「約束?」
「したの。私が街を案内した時。ブリタニアで。『今度はスザクがニッポンを案内して』って。スザク、その時『うん』って言った」
未だ意味をとりかねているスザクからふいと目線をはなして、アーニャはまたパチパチと携帯を打ちはじめる。どこか拗ねたように目を上げない彼女の髪を、ジノが苦笑して軽くつついた。
「せっかくエリア11での任務なんだ。私も是非お前に案内してほしいよ、スザク」
アーニャはジノの指を五月蝿そうにはらう。
「ゴールデンフィッシュキャッチャー。前に貴方が話してくれた。金魚は好き。掬う、というのはおもしろい」
「そうそう。ユカタってのを着ていくんだろ?お前がいつも着てるトレーニング服とはまた違うのかい?」
「コットンキャンディーも食べてみたい。ふわふわって真昼の雲みたいで、しゅっと溶けて甘いって、皇女殿下が」
スザクの椅子に持たれかかりつつ、ちゃっかりと肩を組んでくるジノ。相変わらず携帯から目線を離さないアーニャ。
「行くなら、貴方とがいい」
「私も。是非、スザクと一緒に行きたいね」
二人を見比べるようにして、スザクは瞳を揺らした。
また、夏の記憶が増える。
咄嗟にそう思って心臓が震えた。
この二人とお祭りに行ったら。
ジノはきっとはしゃぐ。もともと本当に貴族なのか疑うくらいお祭り屋な人だ。アーニャも、最近わかってきたことだけれど、結構珍しいもの好きだ。はまるととことん。だから。いや、だからでもなんでもないか。行き先も実は関係ないかもしれない。わかっている。この二人をつれて一緒に出かけようものなら、楽しくなるにきまってる。
楽しくなら無い、わけがない。
そんな風に思う自分にもまた驚く。
また人を愛しはじめている自分に驚愕する。
今でももう、僕の要領はいっぱいなんだ。だってほら、季節がめぐるたびに何かを思い出して、いつだって何かを悔いている。特にこの季節は。父を殺した夏。優しかった彼らとの夏。彼女の逝った夏・・・・。セミの鳴き声。迫り来る雨。ゆらめき立つ陽炎。そういった小さな小さな何かに、僕は思い出させられずにはいられない。時系列もばらばらに。出来事と刷り込まれた背景の温度とともに、無意識の中の記憶が呼び覚まされる。
思い出すたびに苦しくなるんだ。だってそれらはみんな失ってしまったもので、喪失した幸せややり直せない過去は心臓の奥底に鈍い痛みを蘇らせるだけだから。
だから、もうあまり笑ったり楽しんだりしたくないんだ。
したくは、なかったんだ。
「・・・・じゃあ、予定調整と警護の役割分担。少なくとも夕方から数時間の空きをつくるためには、この一週間かなりキツメに仕事をこなさなくちゃならないよ」
特にジノに向かってわざとそっけなく返すと、彼はうんうん、と心底嬉しそうにうなずいた。「連れて行ってくれるの?」とアーニャの幾分驚いた声がして、目線の下でピンク色の髪がゆれる。楽しそうな瞳が此方を見上げてくる。
「うん」
うなずく。知れず微笑んで返す。
「約束、だったらしいからね」
だから今度は。
どうかどうか、失われない思い出になりますよう。
廻る季節の中で
*080826