過去への追憶というものはその場の空気をも微妙に変化させる。そこにいる人間に共通するものならばなおさら。年月をへて変化する人と人との微妙な関係や個々の立ち位置、はてまではそこに漂う好悪感情のベクトルすらも、ほんの少し、語られるその記憶の地点を真似るようにして様相を変える。
ほんの少し、ではあるが。
だからだろうか。ほんのわずかな間だけではあったが、それでも確かな安息の中で、ランペルージの兄妹とその唯一の幼馴染との会話に昔のことはつきものだった。まだ帝国の血縁としての素顔を隠すに至っていなかった幼いルルーシュとナナリー。そして日本にじゅんずることに厭いを持たなかったころの『日本人』のスザク。三人の過ごした一時の季節。
別段、毎回過去の思いでやなにかが語られるわけでもなく、彼らの口に上るのはどちらかといえば華やかで安らかで、誰かさんの口癖ではないがモラトリアムの象徴とも言うべき祭りや学業や生徒会やそういった学園生活のことではあったが。無意識の中で、三人きりになるときのそれぞれは、そういった年月に蓄積させた己の仮面を少しだけ剥ぐのだ。兄はその冷えた外側を、幼馴染はどこか作り物めいた暖かさを、そして少女は多分、この『良い子』であるか弱い自分を。剥いで戻る。純粋足りえた子供時代に。ほんの、少しだけ。
少なくともナナリーはそう感じていた。
ナナリーは花が好きだった。
今だって好きだ。目の見えない体ではあるが、微量な香りと葉や花弁の感触、あとはつきそう人の手助けを借りて様々な草花を覚えたし、学生だったころには、やはりさよこや生徒会の少女達に時々手伝ってもらいつつも、自分だけのガーデニングにせっせと励んだ。幼い少女だった自分も同じくそういったかわいらしい物が好きで、日本に来たばかりのころはせめてもの慰めにと兄が、そしてそのうちにナナリーは花好きなのだと認知したらしいスザクが、それこそ競うようにして花を届けてくれた。時には一緒に摘みに行った。
「そういえばひまわりの大群を見に行ったよね」
口火を切ったのはスザクだった。久々に兄妹を訪れた彼は相変わらずどこかぬけている笑顔で紅茶をすすって、見やったルルーシュは傍らで本のページをめくりつつ軽くため息をつくそぶりを見せた。
「何がそういえば、なんだかよくわからないんだが」
「ふと思い出したんだよ。でも覚えてるだろ?」
「それは、まあ」
兄が忘れるわけもない。ナナリーはくすりと笑う。
「私もよく覚えています。スザクさんがいつだったかヒマワリを摘んできてくださって」
「つんで、というか引っこ抜いてだな、あれは」
「それを気に入ったって言ったら、スザクさんが秘密の場所に案内してくれて」
「無理やりひっぱっていかれたんだ。急に『いいところに連れて行ってやる』って」
「そうだっけ?」
スザクは不思議そうに小首をかしげる。その声音を聞いて、ああとぼけているのだな、とナナリーは笑う。
「暑い夏の日にあの山道は大変だった」
「でも私はスザクさんに負ぶっていただいたので」
「気にすることはないんだよナナリー、こいつは昔から体力馬鹿だったから」
「まあ、それは否定しないけど」
いいように言われ続けてスザクは苦笑する。素直じゃないんだからルルーシュは、とかなんとか。どういう意味だそれは、とかなんとか。
「私、今でも覚えていますよ」
じゃれている二人を前にしてナナリーは思い出に浸る。
「見えない私のためにって、スザクさん、私を負ぶって、そのままひまわりの中を走り回ってくださって」
やっとのことで場所について、その彼女を負ぶった格好のままスザクはヒマワリの群れに突進した。もちろんルルーシュは驚いた声をだし、けれどスザクとナナリーは笑いながらそのヒマワリの波に消えた。
「手を広げていてごらん」という言葉のまま片手をおずおずと伸ばせば、心地よいスピードとともに花びらと少しかさかさする葉が幾つも幾つもその手にふれて、
「本当にたくさん咲いているんだなあって、見えないけれどわかって、とても楽しかったです」
ナナリーが手を合わせてにっこりとルルーシュに顔を向ければ、毒気を抜かれたかのようにでれでれと彼は微笑み、「そうかナナリー」と優しい声で返す。
「今度は本当に、この目で見たいです」
「いつか必ず」
「できるよ、ナナリーなら」
優しい二人はそのままで微笑む。じゃあ、と声を弾ませてナナリーは言う。
「そうしたら、いつかもう一度、三人でまたあの場所に行きましょう?」
二人の空気は一瞬だけ止まり、そしてしかし「そうだね」と彼らは声をそろえた。
「約束ですよ」
「ああ、約束だ」
「指切りしようか」
三つの小指を、彼らは器用に絡ませた。
その時の、三人の追憶の空気を、ナナリーは今でも覚えている。兄と離れ離れになり、学園を去り、総督としての一日の中で思い出すその日々。遠き幼い季節だけではなく、そのゆったりとしたモラトリアムの記憶を。未来への希望に一瞬だけ揺らいだ二人を、しかしそれでもその未来への約束をしてくれた二人を、ナナリーは忘れない。忘れてはいない。
この危うい情勢で、何を馬鹿なことをと言われるかもしれない。兄は表向き生死行方ともに不明であり、スザクと彼は不穏な空気をかもし出しており、皇位継承者として返り咲いた自分の立場も考えると、やはり少し現実離れしたことかもしれない。
しかし、ナナリーは確信している。あの日、クラブハウスのテラスで約束したように、私の目が見えるようになったら、また三人でヒマワリの海を見に行くのだと。心のどこかで、根拠の無い自信とともにそれを信じていた。
いや、目が見えるようになってからでなくてもいい。
けれどきっといつか三人で出かけよう。またスザクさんにおぶってもらおう。きつい坂道で少し休んで、そして今度はきっとお兄様も一緒に、その太陽の海に思い切り飛び込むのだ。
三人で、一緒に。
だから、だろうか
第二次東京決戦のさなか、瞼の奥全てを歪な赤い光が覆い尽くしたその時に思い出したのは、
自分の瞳には一度もうつしたことの無い
あの一面のひまわり、だった。
と わ の ひ ま わ り
追悼。フレイヤの光の中で。
*080819