左手をさ迷わせてカーテンをあける。
金具のついた紐の先端を軽く引っ張ってシャッと勢いよく布地を広げると、東側に位置するこの窓からは、朝のやわらかい陽光が差し込んでくる。顔いっぱいに眩しい光が降り注げば、その日は晴れているということ。だから暖かい光を手に受けると少し嬉しくなる。



一日のお仕事が終わる。
政庁の建物脇の、自分専用の建物に帰れば、私つきのお手伝いさんが迎え入れてくれて、正装を軽くととのえてくれる。

「今日はいかがなさりますか?」
「ええと、この後は・・私用の面会があるので・・」
「ナイト・オブ・セブン様ですね」

言い当てられれば、必要もないのに頬が熱くなって、はい、とかええ、とか、しどろもどろに答える。ここの人達は優しい。そんな私に向けられる目線が、揶揄やからかいを含んでいないことを知っている。

「御髪はどのようにいたしましょうか。一つにして結い上げますか?それとも軽く結ぶ程度に?薄くとって、後ろにまとめて」
「ええと、・・・軽く、結んでください」
「かしこまりました。では、髪留めのお色はいかがなさいますか?ピンク色か、明るいブラウンか、そのどちらかが今日のお召し物には良く生えると思います」
「ええと」

ピンク色といわれて、とっさに記憶のそこをさらう。明るい日差し、くるくると笑って此方に手を伸ばすユフィ姉さまの色。
ああ、ピンクとはあんな色だった。

「では、ピンク色で」
「かしこまりました」

失礼します、といって彼女は髪を梳き始める。



時々あることだ。七つの時までの視覚の記憶。それから八年間、倍もの年月を暗闇の中で過ごしてしまった。幼い頃に瞳でとらえた、色も、物の形も、印象の薄いものから白くかすれていく。こぼれおちていく。最後に残るものはわかっている。最愛の兄の顔。ええ、大丈夫ですお兄様。貴方の笑顔を、私は絶対に手放しません。





屋上に設置された庭園にたどり着く。吹き抜ける風に、そそがれる静かな水音。くすぐる花のかおり。車椅子を操作しながら空を見上げれば、ああ、暖かな光が両手いっぱいに降り注いでくる。

人の気配がして近づく。間違えようも無い匂いが私を振り返る。だから私は微笑んで呼びかける。「スザクさん」

久しぶりにスザクさんとお話できる時間がとれて、少しほっとした。私の手をとる彼は、どこか疲れたようで、どこか不安定で、けれどいつも通り、優しいスザクさんだ。暖かい手、暖かい声。

「お仕事、お疲れ様です、スザクさん」
「いえ。それはナナリー総督も、」

いつも通りの儀式。「ここはプライベートですよ」、とたしなめれば、笑う気配がして、「ごめんナナリー」と彼が返す。

「その格好、暑くない?」
「大丈夫です。ここには風が入ってきますから」
「確かに。気持ち良いところだね、ここ」

二人で芝生に腰をおろす。足の動かない私を、スザクさんが持ち上げて運んでくれる。
足をくすぐる小さな花や葉がくすぐったい。けれど懐かしい。私は空に手を伸ばす。降り注ぐ満開の太陽。

「今日は良いお天気ですね」
「そうだね。本当に真っ青な蒼空だよ」
「ほんとうに?」
「うん。雲なんてひとつも無い」

空の蒼さを、思い出せない。
うすぼんやりとした綺麗なあおが、記憶の奥底できらきらと光る。埋もれて沈む。
「ナナリー?」と声をかけた彼を、私はみあげて、微笑みかける。



遠い昔の、あの、恐ろしい出来事。
ガラスの割れる音、立て続けの銃声。
大好きな、大切な母を失って、私はとてもとても悲しかったのです。
お兄様の泣き叫ぶ声とお母様の最後の吐息。
私は今でも覚えています。

私は、足を失いました。
それから、光を失いました。
けれど私は、それはそれでも構わなかったのです。
お兄様にご迷惑をおかけしてしまうけれど、もう何も見たくなどなかったから。
世界は、悲しいことばかりでした。



「スザクさん、私の目、いつか治るでしょうか?」

意識して気弱に言ってのける。彼の言葉は聞くまでも無い。優しい彼は、手をそっとにぎって、「必ず」と祈る吐息で返してくれる。

「ならば私、一つ楽しみなことがあるんです」
「どんなこと?」


「スザクさんのお顔を、拝見すること」




だから、貴方が初めてなんです、スザクさん。
全てが見えなくなってから、この目に初めて映したいと願ったのは


だから、貴方、だったんです








空の蒼より愛しい










*080802
戻る