企画、夏のらいらまつりによせて
――最初は、怪力持ちのバーテンさん。
罪歌で傷つけても、全くきかない強い人。
切り裂き魔や黄巾族の人たちから、何度も何度も助けてもらった。すごくすごく強くて、それから優しかった。でも多分、彼は私と少し似ている。
自分から他人を愛せない。
その次は、漆黒の首無しライダーさん。
最初に罪歌で首を一直線に切ってしまって、だけれどぜんぜん平気だった。
潔く、愛を持って生きていて、本当に格好の良い人だと思った。けれど、彼は『彼』ではなくて、女のヒトだと後に知った。お医者さんの新羅さんとセルティさんは、本当にお似合いのカップルだと思う。今でも色々助けてもらったり、相談にのってもらったりしている。
セルティさんは、やっぱり格好の良い女性だ。
紀田君がいなくなった。
私たちの手の届かないどこかへ消えてしまった。
いつも明るくて楽しくて、「好きだ」とか、「かわいい」とか、暖かい言葉をたくさんくれた。黄巾族とのごたごたのときにすれ違ってしまって、だけど、私のことも帝人くんのことも、とても大切に思っていてくれた。
私は彼に恋していたんだろうか。紀田君がいなくなって、とても寂しい。
でも、私にはわからない。
私は人を愛せないから
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容赦なく突きささる日差しを、淡い水色に揺れるプールの水面がユラユラとやわらかく包み込んでいる。
生き物のひそかな息遣いすら静まりかえる気だるい昼下がりに、ザブン、ザブン、という飛び込みの定期的な音と、少女たちが両足でたたき付けては散っていく水しぶきの、はじける音だけがにぎやかだった。
風の通りは良いけれど、太陽に近い分余計に暑い気さえするなあ、と杏里はぼんやり思う。
来良のプールは第三校舎の屋上にある。直射日光降りしきるブルーのプールサイドがジリジリと音をたてていて、プールの中にはいっていると、もう二度とこの水中からあがりたくなくなるような気分にさせるのだ。ザブン、とまた水しぶきをあげて水中に飛び込んでいく級友をプール脇の日除け屋根がつくる日陰からみやりながら、杏里は困ったように親友をみやった。
「私の話せることなんて、これくらいです・・」
対して斜め向かいに体育座りする張間美香はふるふると首を横にふって、髪についた水滴をあたりにちらした。
通常の概念から男女別で行われる来良のプールの授業。ストーカー、もとい、相手に認められてからは壮絶な愛を注ぐ彼女となった張間美香と矢霧誠二がはなれる貴重な時間だった。貴重というのは、この二人のカップルにとってではない。美香がはなれて少しの寂しさを感じている杏里にとってであり、それから未だ変わらず杏里を大切に思っている美香にとっても良いチャンスではあった。
「結構あるじゃん、素敵青春ライフだよ杏里ちゃん」
「でも美香さん・・・こ、恋バナなんて・・こんなところでするものなんですか?」
「えー、だって私、誠二との用事で忙しくて、杏里ちゃんとなかなかはなせないしぃ。ま、修学旅行の夜とかまでとっておいてもいいんだけどさっ」
だからといって、久々に話す友人、しかも自分のような恋とは無縁の相手にふる話題が恋バナなのはどうなんだろう。規定のメートル数だけ楽々と泳ぎ終えた杏里の前にどんと腰をおろして、この級友が一言目にいったのが「恋バナしよ!」だった時にはポカンと口をあけるしかなかった。
美香さんは相変わらずだなあ、と杏里は苦笑する。
「それにしても、すごいラインナップだよね。池袋の喧嘩人形に、都市伝説の首無しライダー。あとま、紀田君もなんだかんだで目立つ人だったしねえ」
「あの、こ、恋ばな、というか・・・かっこいいな、とか、さびしいな、とか思った人たちというだけですし」
「いやいや!杏里ちゃんってば、いい趣味してると思うよ」
まあ誠二以上の人なんていないけどさっ!と美香は元気よく笑う。
「みんな強くてかっこいい人だよね。ちょっとやそっとじゃ死なないって言うか」
意味有り気に美香は笑う。
「そういう人が、杏里ちゃんの好みなのかな」
「いえ、あの別に多分、そういうわけでは・・」
「そうなの?あ、じゃあ」
「じゃあ、竜ヶ峰君は?」
問われた名前に杏里の胸中がしんと静かになった。
「・・帝人くんは、いいお友達だから」
「え、だめ?」
「いえだから、だめ、とかではなくて・・」
「いや、杏里ちゃんと竜ヶ峰君ならお似合いだし・・つきあってるー?とか、聞かれたりしない?」
「それは・・・」
最近よく帝人の後ろをついてまわっている、童顔の後輩の顔が頭をよぎる。そして杏里も、自分と彼がそういう風な関係にあるのではないか、と周囲から認識されていることを知ってはいた。
でも、だめだ。だめなのだ。よくわからない。そのことについて考えようとはあまりおもわないし、考えようとしてもすぐに淡いもやが頭をおおってしまって、あまりよく考えられない。
多分、私にはわからないから。友愛と恋愛の違いが。大切だという感情は持っていて、それ故彼の今現在やみえないこころの動きを心配したり悩んだりするけれど。
うん、そうだ、
「よく、わからないんです」
私は人を愛せないから。
小さくつぶやいた杏里を見下ろして、張間美香少し笑った。
「うーん。どうなんだろうね、杏里ちゃんの気持ちは」
――だって竜ヶ峰君には刃がとどいちゃうもんね。
胸内の言葉を、彼女は声には出さなかった。
「せーいじー!!」
パシャン、と飛沫をあげた美香が勢い良くプールサイドへとあがる。やや下方に見えるグランドから球技の授業が終わったらしい彼女の恋人が手を振り返し、杏里もなにとはなしにそちらへと身体を動かす。
瞬間、彼の隣を歩いていた少年と目が合う。
遠くからでもわかる、よく見慣れたシルエット。「あ、」と小さく声をこぼし、胸中で彼の名前をつぶやく前に、対岸からわあ、とにぎやかな声があがる。
――竜ヶ峰ぇ、お前どこみてんだよ、
――張間かぁ?そりゃかわいいけど、難攻不落なとこにいくなあ。
――・・・うそうそ、わかってるってば。園原サンの水着姿みれてよかったなあ霧ヶ峰
――あっちいなあもう、あつすぎ
「ええ?」とか、「違うってば、」とかあたふたとした声が聞こえて、眼下の彼は少年たちの波にあっという間に飲み込まれる。
「帝人くん」
彼らの声にかき消されてつぶやけなかったその名を小さくこぼした杏里を美香は楽しそうに振り返る。
親友の言葉を反芻して、やはり少女は首をふる。
よく、わからないや、私には。
ああ、でも、
囲まれたクラスメイトにからかわれて、ここからでもわかるほどに顔を真っ赤にしながらちらりとこちらを見上げた彼を、ただかわいいな、と杏里は思った。
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――アイス食おーぜ、アイス!
金髪の少年がこちらを振り返って、隣の彼はいいねえ、と声をあげた。
――いいねえ。もうあつくてあつくて。園原さんはどう?
私も食べたいです。杏里は微笑む。
よく見かけるアイスクリィムのチェーン店に立ち寄り、アイスの味を迷う。かわいらしいピンクとオレンジのマークに小さく当店お勧め、という張り紙がしてあり、小さくうなってその二つを見比べる。
――そーいやさ、初めて三人で帰ったときもアイスくったよなあ、
――あー、そうそう、そうだったね。・・・僕いちごにしよ
早々に味を決めた彼をみやって、杏里は少し笑う。
――あのときも帝人くんはいちご味のソフトクリームでしたよね
――そーそ。昔から思ってたけど、お前ってほんといちご好きだよな。いちごに限らず、そういうかわいらしー味
――べ、別にいいじゃないか。
財布から小銭をだしかけて、少年は顔を赤くさせる。
悪いとは言ってないってえ、と金髪の少年が返す。
――ただ味覚が子供っぽいなあと・・・あてっ
帝人が無言で彼の頭をはたく。
――悪い悪い、お前、本当はみそだれとかじいちゃんっぽい味のほうが好きなんだよな・・・あたたっ痛いです帝人さんいたい
杏里は笑いながら、いちご味が選びにくいなあ、と引き続き味を迷う。
――あ、やっぱり暑くなってくるとぐるぐるーってのよりまるいほうがくいたくなるな
――ぐ、ぐるぐる?まる?
――ぐるぐるはソフトクリームタイプの、まる、はアイスタイプのこと
――・・・普通にいいなよ
じゃれあう彼らを見てほほえみかけて、杏里はふと気がついた。
・・・あれ、静かだ。
静かだ。
・・・・・静かだ、
・・・・・・・・・・・・・・静かだ・・・!!
杏里の中に巣食っているはずの「彼女」が静かなのだ。
いや、静か、ではなくて
目の前の空が一瞬で晴れ上がった。
ような、気がした。
煩いくらいにただひとつの言葉ばかりがなりたてていた呪いの赤は消えうせ、この何年間朱色が耐えたことのない私の小さな絵画廊には、心地のよい静寂が染み渡る。
母なる彼女が消えた。いなくなった。
呆然と首を横にやる。
アイスクリィムのお店も、座っていた椅子も、きれいな色の看板も、金髪の少年もすべてとけて、ただ彼一人だけがこちらを見ていた。
友の言葉がよみがえる。
杏里の額縁のひとつに、あかるい朱色がともっていく。
あの娘はいないのに!いないのに、だ。いないから、だ。
ああ、と声をあげた。
ああ、これが愛だ、と、
心のそこからわきあがる喜びを抱きしめる。
わかった、これは、愛なのだ。これが、恋なのだ。
うれしくてうれしくて、名前をよぶ。
「 」
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ガクリと身体が、手前によろけた。
「園原さん?あの、大丈夫?」
急に視界がひらけて、届いた声にびくりと体をふるわせる。顔をあげれば、半袖のシャツを着た竜ヶ峰帝人が心配そうにこちらをのぞきこんでいた。アイスクリーム店でもない。紀田正臣もいない。静かな午後の教室だった。
「・・・あの、」
「うんと、もう授業終わったよ。それで、次移動教室だから・・・。もしかして、調子悪い?大丈夫?」
ぼんやりと首を横にふれば、彼は「そう?」と少しの間腑に落ちないように目を細めて、それから、「ならいいんだけど」と小さく笑った。
「珍しいね、園原さんが授業中にぼんやりするなんて」
「・・・いつの間にか、眠ってしまっていたみたいです」
「寝不足とか?大丈夫?」
「あ、それは大丈夫なんですけれど。体育の、プールの後のクーラーが効いた教室って、気持ちがよくて」
「あー、わかるわかる」と彼は笑う。
のたのたと科学の教科書をとりだしながら、胸中の彼女の声を探す。相も変らぬアイの言葉はすぐに許容量をこえて額縁の向こうを埋め尽くしていく。
「おまたせしてしまってすみません」
「ううん、全然。じゃあ、いこっか」
少女は「はい」とうなずき返す。
そして彼女は、夢中の自分をけっしてふりかえらなかった
呼んだその名が、誰のものであったかを
夏中の夢
*100831